音形・音型(張韶老師の二胡講座、上巻、107p)
音型
音形は↑に載ってませんでした。この感じだと、音型は複数の音のつらなりを表すもので、ひとつの音の経過(減衰音とか)を言うなら、「音形」がいいのではないか、という感じ。
↑のブログからは、結論が得られず。
↑この方が書いている「ため息の音型」、これがたぶん一音の中での音の形をいっているような気がするんですよね。だったら、本書105pの「音型」は、どちらかというと「音形」と書くべきかな、と思いました。
伸指と定把(張韶老師の二胡講座、上巻、103p)
伸指はそのとおり指を伸ばすこと(「吃饭」みたいに、ふつうに動詞+目的語のくみあわせなのかも)。
定把は、把位を動かさないこと。
滑音の一種に「定把滑音」があるが、秦派の奏法として、「定把伸指滑音」という用語を2つの文章でみつけた。
https://m.fx361.com/news/2015/0928/3154400.html
二胡の金属弦(張韶老師の二胡講座、上巻、67頁)
67頁訳注:これがまたたくまに全国に広まった。それをさらに強力に後押ししたのが、1956年の音楽週間で氏が金属弦で演奏した「空山鳥語」や「拉駱駝」であった。
→この記事は『二十一世紀中華国楽人物誌:張韶』222頁の以下の記事に基づく
在1956年举行的全国音乐周上,张氏用金属弦演奏《光明行》、《拉骆驼》等二胡曲,获良好效果,进一步推广至全国各地。
また、この資料では張韶と張子鋭が二胡金属弦の開発者としている(初期には揚琴やバイオリンの弦を使ったらしい)
●『优美的旋律飘香的歌-江苏历代音乐家 续集』38-39p
・1950年代に張韶が張子鋭と金属弦を開発。
・1956年の音楽周に「空山鳥語」「拉駱駝」を演奏。著名音楽評論家の李凌(原著「中国広播教学講座」の序言を書いている)が『中国青年報』にこれを賞賛する一文を寄せる。
●《中華楽器大典》319頁では開発者について考察している。
・1981年第2期《楽器》では、陳振鐸が自分と張子鋭が金属弦を開発したとする論文を投稿している
・1994年100期《北市国楽》の李明正の論文では1947年に張韶が張子鋭と開発した、とする→張子鋭の入学年を根拠に、これは事実ではないとする。
張韶ではなく陳振鐸が開発者だとする。
(『江苏历代音乐家 当代巻』収録の李明正・于智魁の文章もチェックしたいところ・・・)
奔驰在千里高原(奔馳在千里高原)(張韶老師の二胡講座、上巻、60pコラム)
奔驰在千里高原(奔馳在千里高原)
張韶老師の二胡講座、上巻、60pコラム「70~80年代の各作品」
●宋飛(説明)9:43から模範演奏
http://www.tudou.com/programs/view/nYBraQ2Z8NE
●王永徳(説明)4:03から模範演奏
http://www.tudou.com/listplay/C1v8fJCo_t8/Cr0OHxm2KVM.html
●趙寒陽
http://v.youku.com/v_show/id_XMjMwMzcwNzI=.html
●王曙亮のレッスン風景
http://www.tudou.com/programs/view/BS3JvZA7KWc
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赶集(gǎnjí ガンジー)(張韶老師の二胡講座、上巻、54p)
赶集(gǎnjí ガンジー)(張韶老師の二胡講座、上巻、54p)
曽加慶の1960年代の作。「赶集」は繁体字だと「趕集」になるので、本書ではその表記にしている。
中国語の辞書では
・赶集:市(いち)へ行く。(小学館『中日辞典』)
・赶集:市へ(物の売り買いに)へ行く:地方によっては「赶场 gǎncháng」「赶圩 gǎnxū」(東方書店『東方中国語辞典中日辞典』)
とあり、東方の説明の方が親切なかんじ。
この曲の場合は、市場に布靴を売りに来た王三姐が歌っているという設定。
●蒋巽風(蒋風之の息子)
蒋巽風は上海之春二胡コンクールで閔惠芬とともに一等賞となった。また、この曲の演奏によって、「新作品演奏優秀賞」の7名のうちの一人にも選ばれた。
●宋飛
ちなみに、上記の「上海之春」二胡コンクールでは、宋飛の父の宋国生が出場し、三等賞を受賞した。
●もとの民謡「王三姐赶集」の歌詞(画像)
いろんな譜面があるが、最初の画像をみると、男性と女性の掛け合いだと言うことが分かる。最後の4小節のところの「男问」のところはセリフになっている。
リンク先の譜面には書いていないが、『中国经典民歌鉴赏指南:上』159pの解説によると、この歌詞はもとの民謡のものではなく、1950年代に新たな婚姻制度を宣伝するためにつけられたものらしい。
こう見ると、曽加慶がこの民謡をかなり膨らませて二胡ソロ曲にしたのがうかがえよう。なお、二胡曲の快板のところはこの主題の変奏になっている。
●「赶集」のもとになった民謡「王三姐赶集」。
この動画では、歌詞が↑の譜面と少し違ったり、途中から3拍子になったりするが、もとの民謡の「女性歌う→男性セリフ」という掛け合いの感じがうかがえる(1:00~あたりで男性が話しかける)。
なお本書(『張韶老師の二胡講座』上巻)136pに民謡の出だしの譜面が掲載されている
全国音楽週間(第一屉全国音乐周)(張韶老師の二胡講座、上巻、50頁)
全国音楽週間(第一屉全国音乐周)(張韶老師の二胡講座、上巻、50頁)
1956年に開かれる。
「20世紀中華国楽人物誌」36頁楊元亨の項目によると、同年に↓のような行事があった。これは音楽週間と関係あるのか?
1956年,中央广播电台文艺部特邀杨氏等五人往北京录制了80多首民间吹奏乐曲。